新婚旅行 7 日目「世界遺産・キト市街」

今日はキト市街と赤道記念碑を観光。

キトは 1534 年にスペイン軍によって築かれた南北 55km の街。かつてはインカ帝国の一部でもあり、クスコもインカ帝国の一部だったので街並みが似ているそうな。旧市街地が 1998 年に世界遺産に登録された。
1000 年頃にキトゥス (Quitus) という人々が住んでいた。キトゥスとは "影がない" という意味で、赤道直下のため影が住んでいる人に影がなかったということだ。
13000 年前から狩猟民族がおり、火山のそばで取れる黒曜石を武器として使用していた。

エクアドルの教育制度は 5 から 12 歳は小学校 (義務教育)、12 から 18 歳は高校、18 歳からは大学となっている。驚くべきことに授業料はすべて無料。
また医療費も無料という。医療・教育が無料ということで税金はどうなのかというと、消費税が 12%、レストランではさらにサービス税が付加されて税金が 22% かかる。所得税は 5%、社会保障が 8% となっている。
季節は雨季と乾季の 2 つ。雨季は 12 月から 3 月の間。
産業は 1 位が石油で熱帯雨林で取れる。2 位がバナナで世界一である。3 位は観光。4 位は海老で輸出品となる。5 位は花木でバラの花を栽培して輸出している。
人種は 55% がメスティーソ。30% が原住民。7 から 8% がアジア人。7 から 8% が黒人となっている。
旧市街地はスペイン風コロニアル様式の建物が多い。

バスで旧市街地の中心まで移動。まずは独立広場 (Plaza de La Independencia) へ。
独立広場は中心に女神の像があり、その周りを市役所・教会・大統領府・聖職者の住む家 (店舗・オフィスも入っている) が囲んでいる。

傾斜のある場所に建物があるので地階を作り土台としている。

独立とはスペインからオ独立であり、女神は自由の象徴。コンドルはアンデスの鳥の象徴であり、女神像の足元には逃げ出すライオンの像がある。これはスペイン軍を表している。

独立広場から 1 ブロック移動したところにラ・コンパーニャ教会 (Iglesia de la Compania) がある。ここは 7 トンの金が使われている黄金教会である。1605 年に着工し 163 年後の 1768 年に完成した。火山帯の石を多く使ったカトリックの教会である。

入口は外の世界 (太陽神の世界) とカトリックの世界を分ける扉を表し、内装は天国と地獄の絵が向かいの壁に配置されているように左右対称となっている。
教会奥の天井には天使の顔が描かれているのだが、1 つだけ黒い顔をしている。これは 1996 年に火事が起こり、その時に焦げたものである。本当は全部焦げてしまったのだが、火事のことを忘れないように 1 つだけわざと修復せずに残してある。ステンドグラスも火事で溶けてしまったので今は普通のガラスになっている。出火したところにも金があるのだが、そこは補修したために他と比べて新しくなっていた。

ラ・コンパーニャ教会からさらに 1 ブロック移動するとサンフランシスコ広場 (Plaza de San Francisco) がある。ここにはサンフランシスコ教会 (Iglesia de San Francisco) があるので続いてそちらを見学した。

この教会はインカの宮殿があった場所にスペイン軍が造ったもので 1735 年に着工し 1805 年に完成した。元は正面がすべて金だったという。中庭にはヨーロッパから持ってきた白い大理石の噴水がある。19 世紀には南米でも大理石が見つかっているがこちらはピンク色だそうな。
建物の中にはドーム状の天井があり、ここの両端に人が立って一方からヒソヒソ声で話をすると反対側にいる人の頭の中に声が聞こえてくる。これは懺悔の時に使っていた。
他にも殉死した聖職者の像もあり、目を刳り貫いたり、頭が割れていたりした。

教会見学を終え、近くにある Tianguez というカフェで休憩。お菓子と一緒に高山病予防によい Mate de coca (コカ茶) を飲む。コカ (Coca) は化学物質を使って生成するとコカインとなるため日本への持ち込みは禁止となっている。広場では数人の小さな女の子が布を売っているのを見かけた。

再びバスに乗りパネシージョの丘へ移動。移動中に渋滞に巻き込まれてしまったが、ちょうど土曜日は丘の手前でマーケットが開催され、すごい人が市場に集まっていた。ここでは家具・服・食べ物と様々なものがそろっている。
キト市街ではバスもたくさん走っておりドアは常に開いている。呼べばどこでも乗せてもらえるシステムになっており、入口にはお金を集める人が常に立っている。
丘の家々は近年できた住宅街で、所得が中から低流の人が多く住んでいる。

パネシージョの丘 (Paque la Panecillo) は 180m の丘で標高は 3016m。頂上にある聖母像は 1975 年に完成し、キトと東洋の芸術要素が混ざっており手が舞踏的である。

パネシージョの丘からの眺め。

次はキト郊外にある赤道記念碑へ移動。最近は街の北部に市内の大気汚染や騒音を避けて 15 年ほど前から住宅街が増えている。軍、警察の養成学校も郊外にあった。道沿いにはココナッツをナイフで向いて売っている人もいた。

赤道記念碑 (Mitad del Mundo, 英語で言うと Middle of the World) は 1736 年から 1744 年にフランス人が赤道を測量した時にいた場所に立っている。当時はここに赤道があると信じられていたが実際に GPS で計測してみると 240m ずれているそうな。

入口には赤道を計測したメンバーの胸像があり、南半球と北半球をまたいだところには赤い線が引かれている。

昼ごはんは El Crater というプルラフワ火山 (Pululahua) の爆発によってできたクレーターのそばにあるその名も El Crater Restaurant で食べた。

前菜にエンパナーダというバナナで作った皮の中にチーズが入った揚げ物、ポテトとチーズのスープにアボガドを入れて食べるロクロスープ、メインは豚肉のから揚げ、デザートにパッションフルーツのムースが出てきた。アヒという辛いソースもあり、いろいろな食べ物につけてみるとおいしかった。

遅めの昼ごはん後はホテルに戻り明日に備えて夕食・就寝。